農薬市場は、ここ数年で急騰と急落を経験しました。2021〜2022年に供給不安から価格が上がり、その後は在庫調整で各社の業績が悪化——クミアイ化学工業の大幅減益も、この波の中で起きたものです。

この記事では、世界と日本の農薬市場の規模・構造を数字で押さえ、市場を動かしている5つの構造要因を整理します。業界研究や投資判断の材料としても使える形にまとめました。

世界の農薬市場 — 規模と構造

市場規模

作物保護用化学品(いわゆる農薬)の世界市場は、2025年に約672億ドルと評価されています。円換算でおよそ10兆円規模です。

⚠️ 数字を見るときの注意
市場規模は調査会社によって大きく異なります。肥料やバイオ資材まで含めれば1,100億ドル超という数字も出ます。「何を農薬に含めているか」を確認せずに数字を比べても意味がありません。以下の数値も、出典と定義を前提としたものです。

剤種別の構成 — 除草剤が最大

世界市場でも日本市場でも、最大のシェアを占めるのは除草剤です。日本の2024農薬年度の出荷額を見ると、その傾向が明確に表れています。

剤種 出荷額(2024農薬年度・日本)
除草剤 約1,344億円
殺虫剤 約944億円
殺菌剤 約757億円

なぜ除草剤が最大なのか。理由は「除草が最も労働負担の大きい作業だから」です。虫や病気は発生しない年もありますが、雑草は必ず生えます。しかも手作業での除草には膨大な労力がかかります。

農業の機械化・省力化が進むほど、除草剤への依存度は高まります。高齢化と労働力不足が進む日本では、この傾向がとりわけ強く出ています。

地域別の特徴

  • 南米(ブラジル):大豆・トウモロコシの作付け拡大で成長が続いてきた最重要市場。ただし穀物価格と為替の影響を強く受ける
  • 北米:遺伝子組換え作物と除草剤のセット販売が確立した市場。抵抗性雑草対策が課題
  • アジア:水稲用の比重が高い。インド・東南アジアは成長市場
  • 欧州:規制が最も厳しく、使用可能な成分が絞られている。市場としては成熟

ここ数年の市場サイクル

農薬業界の直近の業績を理解するには、この波を押さえる必要があります。

  1. 2021〜2022年:供給不安と価格上昇
    物流の混乱、中国の生産制約、穀物価格の高騰が重なり、農薬の需要と価格が上昇。流通各社が「品切れを恐れて在庫を積み増した」
  2. 2023〜2024年:在庫調整
    供給が正常化すると、積み上がった流通在庫が重荷に。新規の出荷が止まり、価格も下落。メーカーの業績が一斉に悪化した
  3. 2025年以降:調整の進展と回復のばらつき
    在庫調整は進んだものの、回復ペースは地域・作物・製品によって差がある状況
このサイクルが示すのは、農薬市場が「作付面積」だけでは動かないということです。実際に農薬が使われる量よりも、流通在庫の増減のほうがメーカーの短期業績を大きく揺らします。決算を読むときは「出荷」と「実需」を分けて見る必要があります。

市場を動かす5つの構造要因

① ジェネリック化の進行

市場に流通する有効成分の多くはすでに特許が切れています。中国・インドのメーカーが低コストで原体を供給し、価格競争が常態化しました。

先発メーカーにとっては、特許期間中に開発費を回収しなければならないという構造です。開発に10年・数百億円を要することを踏まえると、この時間的な制約は極めて厳しい条件になります。

② 規制強化による成分の減少

欧州を中心に、使用可能な有効成分は減る方向にあります。日本でも2021年度から再評価制度が始まり、最新の科学的知見に基づく再審査が進行中です。

市場への影響は二面的です。選択肢が減る一方で、残った剤・新しい剤の価値は上がります。「使える剤が少ない」ことは、それを持つメーカーにとっては強みにもなります。

③ 抵抗性問題という需要

抵抗性の発達は農業にとって深刻な問題ですが、市場から見れば「新しい作用機構への需要」でもあります。

クミアイ化学のアクシーブが世界50カ国以上に広がったのは、まさにグリホサート抵抗性雑草という「効かなくなった市場」があったからでした。抵抗性は、新規剤にとっての参入機会を生み続けています。

④ バイオロジカルの台頭

生物農薬やバイオスティミュラント(植物の活力を高める資材)の市場は、化学農薬を上回る成長率で伸びているとされます。

重要なのは、これを推進しているのが大手農薬メーカー自身だという点です。ビッグ4はいずれも生物農薬企業の買収を進めており、「化学 vs バイオ」ではなく品揃えの拡張として捉えるのが実態に近い見方です。

⑤ デジタル農業という両刃の剣

ドローン散布、センサーによる発生予察、必要な場所にだけ散布する精密農業——これらは農薬の使用量を減らす方向に働きます

短期的には市場を縮小させる要因ですが、メーカー各社はここに積極投資しています。理由は「農薬を売る会社」から「防除ソリューションを売る会社」への転換を狙っているためです。使用量が減っても、単価と付加価値で稼ぐという構図です。

日本の農薬市場

規模

国内の農薬製剤市場は、2023年度が3,364億円、2024年度は3,455億円の見込みと調査されています(矢野経済研究所)。世界市場の数%にあたる規模です。

日本市場の4つの特徴

  • 水稲用の比重が高い — 育苗箱処理剤や一発処理除草剤など、日本独自に発達した剤型がある
  • 省力化ニーズが極めて強い — 高齢化と担い手不足により、「散布回数を減らせる剤」の価値が高い。一発処理剤や長期持続型の需要につながる
  • マイナー作物問題 — 多品目・小面積の栽培が多く、登録が取られにくい作物が存在する
  • 市場そのものは緩やかに縮小 — 耕地面積と農家戸数の減少が構造的な下押し要因

だから国内メーカーは海外へ

国内市場が伸びにくい以上、成長は海外に求めるしかありません。実際、クミアイ化学工業は海外売上比率が約7割に達しています。

これは強みであると同時にリスクでもあります。業績が国内農業ではなく、北米・南米の畑作市況と為替に左右されるようになるからです。直近の減益は、まさにその側面が表れた形でした。

一方で日本農薬は同時期に過去最高益を記録しています。「どの地域・どの製品で稼いでいるか」で明暗が分かれる——農薬業界は一枚岩ではありません。

これからの論点

  1. 新規有効成分の枯渇 — 新しい作用機構の発見頻度は下がっている。既存剤をどう長持ちさせるかが業界共通の課題
  2. 気候変動 — 病害虫の分布が北上し、これまで発生しなかった地域で防除需要が生まれる。同時に既存の防除体系が通用しなくなる
  3. 食料安全保障 — 収量確保という農薬の基本的な役割が、あらためて政策的に注目されている
  4. RNA農薬などの新技術 — 実用化が進めば、市場の構造そのものが変わりうる

よくある質問(FAQ)

Q. 農薬市場は成長産業ですか?

A. 世界市場は人口増加と食料需要を背景に長期的には拡大が見込まれます。ただし年ごとの変動が大きく、在庫サイクルや穀物価格、為替に強く影響されます。「安定成長産業」というより「循環性のある成長産業」と捉えるのが実態に近いでしょう。

Q. なぜ農薬メーカーの業績はバラバラなのですか?

A. 地域構成・製品構成・特許の有無で影響が大きく異なるためです。海外比率が高い企業は為替と海外市況に、国内中心の企業は国内農業の動向に左右されます。メーカーランキングで各社の性格を比べると違いが見えます。

Q. 中国メーカーの影響はどれくらいですか?

A. 特許切れ成分の原体供給で大きな存在感を持ち、価格形成に強い影響力があります。中国の生産・輸出動向が世界の農薬価格を動かす場面は珍しくありません。

Q. 農薬市場の最新データはどこで見られますか?

A. 国内は農林水産省の統計農薬工業会の公表資料、各社のIR資料が一次情報です。市場調査会社のレポートは定義が異なるため、比較の際は対象範囲と年度を必ず確認してください。

まとめ

  • 世界の作物保護用化学品市場は2025年に約672億ドル。ただし調査会社ごとに定義が違うため、数字は前提とセットで読む
  • 剤種別では除草剤が最大(日本の2024農薬年度で約1,344億円)。理由は「虫や病気は出ない年もあるが、雑草は必ず生える」という省力化ニーズ
  • 直近の業績悪化の主因は2021〜22年に積み上がった流通在庫の調整実需より在庫の増減が短期業績を揺らす
  • 構造要因は①ジェネリック化 ②規制強化 ③抵抗性問題という需要 ④バイオロジカルの台頭 ⑤デジタル農業の5つ
  • 日本市場は2024年度3,455億円の見込み。水稲用が中心で省力化ニーズが極めて強いが、耕地面積と農家戸数の減少で緩やかに縮小
  • そのため国内メーカーは海外へ。クミアイ化学は海外7割だが、同時期に日本農薬は過去最高益——業界は一枚岩ではない

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※市場データは2026年8月時点で公表されている調査・統計に基づきます。調査主体により対象範囲が異なります。最新の数値は農林水産省統計、農薬工業会、各社IR資料をご確認ください。本記事は投資判断を提供するものではありません。